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務台俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
務台 俊介
むたい しゅんすけ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1956-07-03) 1956年7月3日(70歳)
出生地 日本の旗 日本 長野県安曇野市
(旧南安曇郡三郷村)
出身校 東京大学法学部
前職 神奈川大学法学部自治行政学科教授
総務大臣官房参事官
所属政党 自由民主党(麻生派・谷垣G→麻生派)
称号 法学士
公式サイト 衆議院議員 むたい俊介オフィシャルサイト
選挙区 (長野県第2区→)
比例北陸信越ブロック
当選回数 4回
在任期間 2012年12月18日[1] - 2024年10月9日
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務台 俊介(むたい しゅんすけ、1956年〈昭和31年〉7月3日 - )は、日本の総務官僚、政治家、行政学者。

神奈川大学法学部自治行政学科教授、環境副大臣、内閣府副大臣、内閣府大臣政務官、復興大臣政務官、衆議院環境委員長、衆議院議員(4期)等を歴任した。戸籍上の表記は務䑓 俊介[2]。

来歴

2008年撮影

長野県南安曇郡三郷村(現・安曇野市)出身[3]。父・丈彦は教師で、梓川中学校長を退職後は豊科近代美術館長などを務めた[4]。

長野県松本深志高等学校を経て、1980年に東京大学法学部(西尾勝ゼミ)[5]を卒業し、旧自治省入省(財政局準公営企業室兼大臣官房総務課)[6]。入省後は旧自治省勤務のほか、広島県地域整備課、外務省経済協力局などを経て1985年4月群馬県総務部行政管理課長、1986年4月群馬県企画部地域振興課長、1988年群馬県総務部財政課長、1990年自治省行政局公務員部福利課長補佐、1992年自治省財政局調整室長補佐、1993年7月自治省税務局府県税課課長補佐、1994年4月自治省税務局企画課課長補佐、1995年1月自治省税務局企画課理事官、6月自治省大臣官房総務課理事官、1997年茨城県総務部次長、1998年茨城県総務部長、2000年自治省大臣官房企画官兼総理府地方分権推進委員会事務局参事官、2001年消防庁防災課長、安全保障会議事務局参事官、2004年総務省自治財政局調整課長に就任。

2006年、総務省大臣官房参事官に就任。同年春、弁護士の永田恒治が代表を務める新長野県政連絡協議会からこの年の長野県知事選挙への出馬を要請されるが固辞した[7]。

2007年、財団法人自治体国際化協会ロンドン事務所長などを務め、2008年退官[8][3][9]。

2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で長野2区より自由民主党公認・公明党推薦で立候補するも、現職の下条みつ(民主党公認・国民新党推薦)に大差で敗れ、落選。

2010年4月より神奈川大学法学部自治行政学科教授(その後退職)。

2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に、再度長野2区より自民党公認・公明党推薦で立候補し、前回敗れた下条らを破り初当選[10]。

2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で長野2区で再選(2期目)。2016年8月から第3次安倍第2次改造内閣で内閣府大臣政務官(海洋政策・領土問題、行政改革、規制改革、消費者・食品安全、死因究明等[11])兼復興大臣政務官を務めた[12]。

2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙で、長野2区で下条みつに敗れたが比例北陸信越ブロックで当選(3期目)[13]。

2021年3月に自民党有志が設立した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」に参加し、同連盟の幹事に就任した[14]。

同年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で再び、立憲民主党から出馬した下条に敗れるも比例復活で4選[15][16]。

2024年9月12日、自民党総裁選挙が告示され、9人が立候補した。務台は同じ麻生派の河野太郎ではなく、小林鷹之の推薦人に名を連ねた[17]。投票日前日の9月26日夜、麻生派幹部6人は都内のホテルに集まり、決選投票に高市早苗が残った場合は高市を支持する方針を決定した[18]。会長の麻生太郎はさらに踏み込み、河野などの陣営に入っていた派閥メンバーに対し、側近議員を通じて「1回目の投票から高市に入れろ」と指示を飛ばした[19]。同日22時半頃、産経新聞は、麻生が1回目の投票から高市を支援するよう自派閥の議員に指示を出したことをスクープした[20]。9月27日総裁選執行。麻生は昼頃まで、自派閥で他候補の推薦人に名を連ねる議員にまで電話をかけ「1回目から高市で頼む」と訴えた[21]。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[18]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。務台は1回目は小林に投票し[22]、決選投票については、中日新聞の取材に対し、投票先を公表しなかった[22]。

同年10月27日、第50回衆議院議員総選挙で下条に敗れ、比例復活もならず落選[23]。同年12月8日に松本市内で開いた選対の解散式で次期衆院選の不出馬を表明[24]。政治活動については今後も継続して行なう事も併せて表明をした[24]。

2025年12月15日に太田寛安曇野市長の死去に伴う、翌2026年1月18日実施予定の安曇野市長選挙への立候補を検討している旨を信濃毎日新聞の取材で表明[25]。その後の安曇野市選挙管理委員会実施の事前審査に参加せず、同26日に出馬を断念する事を表明した[26]。

政策・主張

憲法

  • 憲法改正について、2012年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[27]。2014年の朝日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[28]。2017年の朝日新聞社のアンケートで「どちらとも言えない」と回答[29]。
  • 9条改憲について、2014年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[30]。2017年の毎日新聞社のアンケートで「改正して、自衛隊の役割や限界を明記すべき」と回答[31]。
  • 2014年7月1日、政府は従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認することを閣議で決定[32]。この閣議決定を評価するかとの問いに対し、同年の朝日新聞社のアンケートで「大いに評価する」と回答[28]。集団的自衛権の行使に賛成かとの問いに対し、同年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[30]。

外交・安全保障