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フランス君主一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(フランス王から転送)
1223年、ランスで行われたルイ8世とブランシュ・ド・カスティーユの戴冠式。1450年代に描かれたフランス大年代記 (Grandes Chroniques de France) のミニアチュールより(フランス国立図書館所蔵)

フランス君主一覧では、君主制時代のフランス王国時代の

歴代の君主を示す。

概説

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フランスでは中世より1870年まで君主が支配した。フランスの支配者は主に王を名乗り、後にボナパルト朝では皇帝を名乗った。「フランス」の成立時期には複数の見解が存在する。もっとも早くに遡ろうとするならば、486年、クローヴィス1世によってローマ帝国のガリアにおける軍司令官シアグリウスが倒され、 メロヴィング朝フランク王国が成立した時となるだろう。フランク王国は8世紀に分裂する。ヴェルダン条約により、843年西フランク王国が成立する。西フランク王国の支配域が、おおよそ今日のフランスへと展開していくこととなる。

この観点から、この表は843年、西フランク王国のシャルル2世即位より開始している。それ以前のフランクの君主についてはフランク王の一覧を参照。

以下の表に掲載した以外に、1340年から1360年および1369年から1801年にかけては、イングランド王およびグレートブリテン王もフランス王の称号を自称した。ごく短い期間ではあるが、この称号が実際に一定の根拠を持っていた時期もある。すなわち、1420年のトロワ条約によりシャルル6世はその義子イングランド王ヘンリー5世を摂政および継承者として認めたのである。ヘンリー5世がシャルル6世に先立ったため、ヘンリー5世の子ヘンリー6世は祖父シャルル6世からフランス王の称号を継承した。北フランスの大部分は1435年までイングランドの支配下にあったが、1453年までにイングランドはカレー(およびチャンネル諸島)を除いたフランス全土から敗退し、カレーも1558年にフランスの手に落ちた。しかしながらイングランド王、のちグレートブリテン王は1801年のグレートブリテンおよびアイルランド連合王国成立までフランス王を自称し続けた。1337年から1422年の間にも、断続的に複数のイングランド王がフランス王を自称している。

君主号としては、フィリップ4世までは「フランクの王」(ラテン語: Rex Francorum)が用いられた。ナバラ王国の王位を兼ねたカペー朝末期(フィリップ4世以降)およびブルボン朝歴代の国王は「フランスとナバラの王」(roi de France et de Navarre)を称した。1791年憲法が効力を有した短い期間(1791年から1792年)および1830年の7月革命後には「フランスの王」(roi de France)ではなく「フランス人の王」(roi des Français)が用いられた。ボナパルト家の君主ナポレオン1世、2世、3世は「フランス人の皇帝」(empereur des Français)を使用した。

「フランス」の名はゲルマンの一部族であるフランク人に由来する。メロヴィング朝は伝説上の人物とされる部族長ファラモン(英語版)に遡るが、実際に最初の王となったのはクローヴィス1世である。その死後、王国は息子たちの間でネウストリア 、パリ、ブルグントおよびアウストラシアに分割される。その後も分裂とメロヴィング朝の王たちの間での闘争が続いた。

やがてメロヴィング朝はカロリング朝に取って代わられる。カロリング家は始めアウストラシアの宮宰であったが、徐々に統合を進め、クロヴィス以来のフランク王国全土統合を成し遂げた。ピピン3世が王として即位することでメロヴィング朝は完全に終わる。小ピピンの子シャルルマーニュの広大な支配域は、ルイ1世により分割される。ルイ敬虔王の子ロタール1世の治世下、843年にフランク王国は東フランク王国、ロタリンギア、西フランク王国へと分割された。シャルル2世は西フランク王国の最初の王である。

カロリング朝(843年 - 987年)

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ウード、ロベール1世、ラウールはカロリング家ではなく、対立するロベール家の王である。カペー朝を興したユーグ・カペーはロベール1世の孫である。

名 肖像 在位期間 先代との関係
シャルル2世
(Charles II)
843年 877年10月6日  • シャルル1世(大帝)の孫、ルイ1世の子
ルイ2世
(Louis II)
877年10月6日 879年4月10日  • シャルル2世の子
ルイ3世
(Louis III)
879年4月10日 882年8月5日  • ルイ2世の子
カルロマン
(Carloman II)
879年4月10日 884年12月6日  • ルイ2世の子
カール3世

(肥満王)
(Charles le Gros)

885年 888年1月13日  • ルイ1世の孫、東フランク国王ルートヴィヒ2世の子
ウード
(Eudes)
888年2月29日 898年1月1日  • ロベール豪胆公の子
シャルル3世
(Charles III)
898年1月1日 922年6月30日  • ルイ2世の没後に生まれた子
 • ルイ3世・カロルマン2世の異母弟
ロベール1世
(Robert I)
922年6月30日 923年6月15日  • ロベール豪胆公の子
 • ウードの弟
ラウール
(Raoul)
923年7月13日 936年1月14日  • ロベール1世の義子
ルイ4世
(Louis IV)
936年6月19日 954年9月10日  • シャルル3世の子
ロテール
(Lothaire)
954年11月12日 986年3月2日  • ルイ4世の子
ルイ5世
(Louis V)
986年6月8日 987年5月22日  • ロテールの子

カペー朝(987年 - 1328年)

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ユーグ・カペーの嫡流であるカペー朝は987年より1792年まで、そして1814年より1848年までフランスを支配した。ただし、1328年以降は一般的にヴァロワ朝およびブルボン朝として個別の名で呼ばれる。

名 肖像 在位期間 先代との関係
ユーグ・カペー
(Hugues Capet)
987年7月3日 996年10月24日  • ロベール1世の孫
ロベール2世
(Robert II)
996年10月24日 1031年7月20日  • ユーグ・カペーの子
アンリ1世
(Henri I)
1031年7月20日 1060年8月4日  • ロベール2世の子
フィリップ1世
(Philippe I)
1060年8月4日 1108年7月29日  • アンリ1世の子
ルイ6世
(Louis VI)
1108年7月29日 1137年8月1日  • フィリップ1世の子
ルイ7世
(Louis VII)
1137年8月1日 1180年9月18日  • ルイ6世の子
フィリップ2世
(Philippe II)
1180年9月18日 1223年7月14日  • ルイ7世の子
ルイ8世
(Louis VIII)
1223年7月14日 1226年11月8日  • フィリップ2世の子
ルイ9世
(Louis IX)
1226年11月8日 1270年8月25日  • ルイ8世の子
フィリップ3世
(Philippe III)
1270年8月25日 1285年10月5日  • ルイ9世の子
フィリップ4世
(Philippe IV)
1285年10月5日 1314年11月29日  • フィリップ3世の子
ルイ10世
(Louis X)
1314年11月29日 1316年6月5日  • フィリップ4世の子
ジャン1世
(Jean I)
1316年11月15日 1316年11月20日  • ルイ10世の子
フィリップ5世
(Philippe V)
1316年11月20日 1322年1月3日  • フィリップ4世の子
 • ルイ10世の弟
シャルル4世
(Charles IV)
1322年1月3日 1328年2月1日  • フィリップ4世の子
 • ルイ10世・フィリップ5世の弟

上の表には含まれていないが、ロベール2世の長男ユーグ・マニュス、またルイ6世の長男フィリップは、それぞれ父と共同統治を行った。これはカペー朝初期の慣習として、王が生前に後継者を戴冠し、共同統治王として権力を共有したものの、それぞれ父王に先立ったためである。ユーグ、フィリップともに単独、または年長の王とならなかったため、伝統的にフランスの王には含めず、したがって代数を付さない。

ヴァロワ朝(1328年 - 1589年)

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ヴァロワ家(1328年 - 1498年)

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名 肖像 在位期間 先代との関係
フィリップ6世
(Philippe VI)