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ハザール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハザール・カガン国
Xazar
ハザールの位置
ハザール・カガン国の版図(650年頃が赤、750年頃が橙、850年頃が薄い橙)
公用語 ハザール語
首都 イティル
カガン
730年 - 740年 ブラン・カガン
ヨシフ・カガン
変遷
建国 650年
滅亡 969年
先代 次代

ハザール(突厥文字:、英: Khazar、ヘブライ語:הכוזרים)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。

支配者層はテュルク系民族と推測されており、支配者層が9世紀頃にユダヤ教に改宗したことはよく知られている[1]。交易活動を通じて繁栄した。

アラビア語、ペルシア語資料では خزر Khazar と書かれている。日本語ではハザル、ハザリア、ホザールあるいはカザールと表記されることもある。

歴史

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起源

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ハザールは謎の多い遊牧民であり、起源はもとより系統もはっきりしないが、おそらくテュルク系と考えられている[2]。

中国の歴史書である『旧唐書』,『新唐書』に出てくる波斯(ペルシア)国(サーサーン朝)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。

8世紀 - 9世紀の年代記作者テオファネスによれば、ハザールの故郷はベルシリア(アルメニア史料のバルシリ)であるという[3]。

10世紀のペルシア語の地理書『世界境域誌』(Ḥudūd al-'Ālam)に書かれているハザール人たちの諸都市の項目(首都イティル(アーティル آتل Ātil)の条)によれば、ハザールのハーカーン(後述)は「アンサーの子孫に属す( از فرزندان انسا است az farzandān-i Ansā' ast)」と書かれており、この「アンサー」とは突厥王家である阿史那氏の訛音ではないかとも言われている。

サビル

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ハザールは6世紀の東ローマ史料において、サビル(サベイロイ)と呼ばれており、『戦史』の著者プロコピオスによれば、「サビルはフンの一族であり、カフカスあたりに居住し、多数の首長のもとに適当に分かれている」という。このサビルとハザールがまったく同一の民族であったか否かは確定できないが、少なくとも10世紀のアラブの歴史家マスウーディーは『黄金の牧場』の中で、ハザールをテュルク系サビルとしている。また、サビルの名が6世紀末からほとんど現れなくなるのは、サビルと呼ばれる部族連合の中にハザールが含まれていたことを示すからであろう[3]。

西突厥の支配下

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ハザールはおそらく6世紀末にカスピ海沿岸およびカフカスからアゾフ海のステップに進出したが、その時期はまだ西突厥の勢力が強大で、その宗主権のもとに置かれていた。