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ティムール朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イラン及びトゥーラーン(ティムール朝)
ایران و توران
ティムール朝の位置
最盛期のティムール朝の支配領域(深緑)と一時的な占領地域(緑)
国の標語:راستى رستى
(ペルシア語 : 正直に救いがある)
公用語 ペルシア語
チャガタイ語
ウズベク語
アラビア語
宗教 イスラム教スンナ派
首都 サマルカンド
ヘラート
スルターン
1370年 - 1405年 ティムール
1451年 - 1469年 アブー・サイード
1506年 - 1507年 ムザッファル・フサイン
宰相
1469年 - 1489年 ナヴァーイー
面積
1405年 4,400,000km²
変遷
成立 1370年4月10日
ティムールの死 1405年2月18日
分裂 1469年
滅亡 1507年
現在 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
キルギスの旗 キルギス
カザフスタンの旗 カザフスタン
タジキスタンの旗 タジキスタン
トルクメニスタンの旗 トルクメニスタン
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
パキスタンの旗 パキスタン
インドの旗 インド
イランの旗 イラン
イラクの旗 イラク
トルコの旗 トルコ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
アルメニアの旗 アルメニア
ジョージアの旗 ジョージア
ロシアの旗 ロシア
 ウクライナ
中華人民共和国の旗 中国
先代 次代

ティムール朝(ティムールちょう、ペルシア語: تیموریان、Tīmūriyān、ウズベク語: Temuriylar)は、中央アジアのマー・ワラー・アンナフル(現在のウズベキスタン中央部)とイラン東部のホラーサーンを中心に、中央アジアから勃興した国家として史上最大の版図を持つ王朝[1]。モンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアから西アジアにかけての地域を支配したイスラム王朝(1370年 - 1507年)[2]。

その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇した。創始者のティムール在位中の国家はティムール帝国と呼ばれることが多い[3]。

概要

[編集]

1370年に政権を握ったティムールはサマルカンドを首都とし、絶え間ない征服活動によって中央アジア、アフガニスタン、イラン、イラクを支配下に入れ、その周辺地域であるモグーリスタン・ハン国、ジョチ・ウルス、トゥグルク朝、マムルーク朝、オスマン帝国をも宗主権下に置いた[1]。しかし、彼が明遠征の途上で没すると、後継者を巡って国家は内乱状態に陥った[1]。それを制したのはティムールの四男シャー・ルフ(在位:1409年 -1447年)で、彼は本拠地のヘラートを首都とし、サマルカンドを長子のウルグ・ベクに委ねて、ティムールの築いた帝国の大部分を支配下に治めた[1]。40年近い彼の治世はティムール朝を通じて最も安定した時代であったが、国の西北部や東北部でトゥルクマーンの