コンテンツにスキップ

UEリェイダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
UEリェイダ
原語表記 Unió Esportiva Lleida
愛称 Els Blaus
クラブカラー 青
創設年 1939年
解散年 2011年
ホームタウン カタルーニャ州の旗 カタルーニャ, リェイダ
ホームスタジアム カンプ・デスポルツ
収容人数 13,500
ホームカラー
アウェイカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

ウニオ・エスポルティーバ・リェイダ(カタルーニャ語: Unió Esportiva Lleida)は、カタルーニャ州(スペイン)のリェイダに本拠地を置いていたサッカークラブチーム。2011年に解散し、クルブ・リェイダ・エスポルティウ(Club Lleida Esportiu)が実質的な後継クラブとして活動している。

1950-1951、1993-1994の2シーズンはプリメーラ・ディビシオンに在籍した。

歴史

[編集]

初期の歴史

[編集]

1910年、バルセロナの実業家であるマヌエル・アソスがリェイダにサッカーをもたらした。リェイダ初のサッカークラブはマリスト・ブラザーズによって1913年に設立されたモントセラート(Montserrat)であり、1914年にはFCリェイダ (FC Lleida)が設立され、初期の両者はPla d’en Gardeny地区で試合を行った。1915年、カタルーニャ・ナショナリストによってアソシアシオ・クルトゥラル・リェイダターナ(Associació Cultural Lleidatana)が設立された。1917年までに、クルブ・コロニアル(Club Colonial)とアスレティック・メタルルヒック (Athlètic Metalúrgic)がCamp de Martでのプレーを開始した。1918年には、カタルーニャ共和主義左翼によってFCホベントゥ(FC Joventut)が結成され、1920年代には彼らが合併してリェイダ最大のクラブとなった。1919年、リェイダはCE(Camp d´Esports)を名称につける初のクラブとなったが、このチームは1927年に解散した。1920年代のリェイダにはAEリェイダ・カラベレス(AE Lleida Calaveres)、リェイダSC(Lleida Sport Club)、AEMリェイダ(AEM Lleida)などがあったが、これらのクラブはすべて1930年代には消滅した。

リェイダ・バロンピエとCDリェイダーノ

[編集]

1930年代後半のスペイン内戦後、AEリェイダ・カラベレス、リェイダSC、AEMリェイダのかつてのメンバーはリェイダ・バロンピエ=AEM(Lérida Balompié-AEM)を結成した。4シーズンを地域リーグで過ごし、1943年にテロエラ・ディビシオン(4部相当)に初参戦したが、翌年にはリェイダ・バロンピエ(Lérida Balompié)とAEMという2つのクラブに分裂した。その一方で、1941年にはスペイン国家主義者がCDリェイダーノ(CD Leridano)を結成し、リェイダ・バロンピエとの間にライバル意識が育まれた。1947年3月9日、両者は合併してUDリェイダ(Unión Deportiva Lérida)となった。新クラブは合併元2クラブの青と白のクラブカラ―を保ち、リェイダ・バロンピエのエンブレムを採用し、新クラブの初代会長にはエドゥアルド・エスラデージャが就任した。

第1期黄金時代

[編集]

UDリェイダは1940年代後半と1950年代初頭に黄金期を迎え、わずか3シーズンでテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)からプリメーラ・ディビシオン(1部)への昇格を果たしている。1949年にはテルセーラ・ディビシオンで優勝し、1949-50シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)に初参戦した。このシーズンのCDルーゴ戦(9-2)ではクラブ史上最大得点差での勝利を挙げ、リーグ戦を2位で終えてクラブ史上初のプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。しかし、プリメーラ初参戦となった1950-51シーズンはCDマラガに0-9、デポルティーボ・ラ・コルーニャに1-10、アスレティック・ビルバオに0-10で負けるなど敗戦が続き、結局1シーズンでセグンダ降格となった。このシーズンにはリベロ、リガウ、テレチェア、カリージョ、エスケルダ、ロカ、ガウシ、ペジセール、ラモン、ビデガイン、フステーロの11人がレギュラーとしてプレーした。

マネ監督時代

[編集]

1980年代後半と1990年代初頭には、マネ監督の下で2度目の充実した時代を過ごした。彼は1988年に就任し、セグンダBに所属していたクラブをプリメーラに引き上げた。1993-94シーズンは43シーズンぶりのプリメーラ挑戦となり、エル・ドリーム・チームと呼ばれたFCバルセロナにカンプ・ノウで1-0で大金星を挙げ、レアル・マドリードにホームで2-1と勝利するなど奮闘したが、計7勝しかできずに再び1シーズンでのセグンダ降格となった。1994-95シーズンはセグンダを3位で終え、続いて行われた昇格プレーオフではスポルティング・ヒホンを破った。

2001年には再びセグンダBに戻ったが、2004-05シーズンと2005-06シーズンは再びセグンダに在籍した。1996年からの約10年間は、途中で別の監督が短期間指揮を執ることもあったが、クラブのOBであるミゲル・アンヘル・ルビオ監督が采配を振るった。

クラブ解散

[編集]

2800万ユーロの負債を抱え、2011年5月10日に破産宣告がなされた[1]。7月12日、地元の実業家であるシスコ・プホルがクラブの権利を取得し[2]、クルブ・リェイダ・エスポルティウ(Club Lleida Esportiu)という名称の新クラブとなった。

タイトル

[編集]

公式大会

[編集]
1992–93
1989–90, 2003–04
1948–49
1970–71
1939–40, 1940–41
1991–92, 1998–99

親善大会

[編集]
  • ノストラ・カタルーニャ杯 7回
1974, 1975, 1977, 1981, 1986, 1987, 1990
  • リェイダ市杯 10回
1987, 1992, 1994, 1995, 1997, 2001, 2004, 2006, 2007, 2008

記録

[編集]

クラブ記録

[編集]
  • プリメーラ・ディビシオンでの過去最高位 : 16位(1950–51)
  • コパ・デル・レイでの過去最高位 : ベスト16(1986, 1993, 1995, 1997, 2000, 2005)
  • リーグ戦での1シーズン最多勝ち点(勝利勝ち点3) : 勝ち点68(2003–04)
  • リーグ戦での1シーズン最多勝ち点(勝利勝ち点2) : 勝ち点60(1957–58)
  • リーグ戦での1シーズン最多得点 : 102得点(1957–58)
  • リーグ戦での1シーズン最多勝利 : 26勝(1957–58)
  • リーグ戦(ホーム)での最大得点差勝利 : 9–0(カレージャ戦, 1941年11月30日)
  • リーグ戦(アウェー)での最大得点差勝利 : 8–1(CEエウロパ戦, 1942年2月22日)
  • コパ・デル・レイでの最大得点差勝利 : 7–0(UEサン・アンドレウ戦, 1985年12月19日)

個人記録

[編集]
  • 歴代最多出場 : 460試合, ミゲル・アンヘル・ルビオ (1982–96)
  • 歴代最多得点 : 82得点, マリアーノ・アスコーナ (1984–91)
  • 1シーズンの最多得点 : 25得点, マリアーノ・アスコーナ (1989–90)
  • 1試合の最多得点 : 5得点, マリアーノ・アスコーナ(1989年10月15日の